あきる野市 二宮神社
ご祭神 国常立尊(くにとこたちのみこと)
二宮神社は明治の初めまでは、小河大明神または二宮大明神とも称されていた。
小河大明神とは、その鎮座地が「和名抄」に記載の武蔵国多摩郡小河郷の地区内にあったためで、二宮大明神とは「神道集」や「私案抄」などに見られれる武蔵総社六所宮(府中大國魂神社)の諸祭神座の第二席にあたるためである。
六所宮とは
一宮 小野大神
二宮 小河大神
三宮 氷川大神
四宮 秩父大神
五宮 金佐奈大神
六宮 杉山神社
社殿によれば、平安時代、藤原秀郷は自分の生国近江国山王二十一社中の二宮を特に崇敬しており天慶の乱に際して、平将門討伐のため関東出陣のおり当社に戦勝祈願をし、乱平定後、報賽のため社殿玉垣を造営し、社領百町を寄進したという。
さらに鎌倉時代の建久元年、源頼朝より社領千石の寄進があり、戦国時代の天正元年には、北条氏政は社領五百石を寄進し、同年、弟の氏照は当社を祈願所と定め崇敬をよせていたと伝えられる。
天正19年徳川家康が代々十五石の御朱印地と認めて以来それは幕末まで続いた。
明治3年社号を二宮神社と改称した。
二宮神社のお池
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